平安神宮を知る 由緒・歴史

ご祭神

  • 第50代 桓武天皇

    桓武天皇は光仁天皇の皇子として天平9年(西暦737年)にご誕生され天応元年(西暦781年)に第50代の天皇として即位されました。英明な天皇は平城京の規模が小さく、日本の国都として適していないことを察せられ、まず山背国(山城)乙訓郡長岡に都をおうつしになり、さらに最も都に適した処として、延暦12年(西暦793年)同国葛野・愛宕両郡を選び都の造営を始められました。翌13年10月22日新京にうつられた天皇は、ここを平安京と称せられ、延暦15年はじめて大極殿において百官の拝賀を受けられたのです。 桓武天皇は在位25年の間に律令を正し難民を救済し、文教を興しよく内政を整えられるとともに広く海外とも交易して大いに我が国の発展に努められました。以来京都は明治に至る1千余年の間、日本の国都として栄えてきたのです。天皇は延暦25年(西暦806年)に崩御せられ、御陵は柏原陵(京都市伏見区桃山)です。
  • 第121代 孝明天皇

    孝明天皇は仁孝天皇の皇子として天保2年(西暦1831年)にご誕生され、弘化4年(西暦1847年)に第121代の天皇として即位されました。天皇の治世は近代日本の胎動期で、幕末の内外騒然とした誠に難しい時期でありましたが、天皇はよく世の推移を察せられ、明治維新の基を開かれました。「さまざまに 泣きみ笑ひみ語りあふも 国を思ひつ 民おもふ為」と憂国済民の熱い志を抱かれつつ、慶応2年(西暦1866年)12月25日、36才の若さをもって崩御せられました。御陵は後月輪東山陵(京都市東山区泉涌寺)です。

創建

明治28年3月15日 皇紀2555年 西暦1895年

御由緒

千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、
京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建

幕末の京都 京都復興への人々の情熱

平安京の誕生以来,約千年間にわたり日本の都として栄えた京都は、元治元年(1864)の蛤御門の変で「鉄砲焼け」と呼ばれる戦火に見舞われ、街の中心部811町、27,500軒余りを焼失しました。さらに4年後の明治2年には明治維新における事実上の東京奠都によって政治的・経済的地盤が急激に沈下し人口が3分の2にまで減少し「いずれ狐や狸の棲家になる」とまで言われていました。衰亡の危機にさらされ、当時の市民は熱意を結集して荒廃した街の復興に取組みました。 京都復興策として、近代都市基盤確立を目指し、一連の事業が進められました。近代化教育の促進事業として市内に64の小学校を建設、インフラ整備事業として琵琶湖疏水の掘削、その水力を利用した発電所の建設とさらにその電気を利用した電気電車の敷設、地場産業振興策として京都博覧会の開催などが進められました。 そして、それらの一連の事業の集大成として平安神宮創建と第4回内国勧業博覧会の開催、平安遷都1,100年紀念祭の挙行が計画されました。

第4回内国勧業博覧会

平安京遷都の延暦15(796)年から千百年の節目となる明治28(1895)年を迎えるにあたり、桓武天皇を顕彰する祭典「平安遷都千百年紀念祭」(「紀念」は「記念」と同意ですが、当時は紀念が多用された)の挙行と立案されました。又、紀念祭にあわせて「第四回内国勧業博覧会」の誘致が計画されました。 十九世紀、工業化した国々では、万国博覧会が開催されていました。当時の万国博覧会は国際見本市という性格が強く、明治政府は産業の奨励と国民の啓蒙政策の一環として、万国博覧会へ積極的に出品するとともに、国内における勧業博覧会の開催に力を注いでいました。それが内国勧業博覧会であり、第1回~3回までは、東京上野で開催されていました。 そして、強い誘致運動の結果、日本歴史の中心地、京都で開催することが決定され、明治28年4月1日~7月31日迄、第4回内国勧業博覧会は盛況裡に開催されました。世界に卓絶する日本の歴史と文化を内外にアピールするとともに、京都の経済・文化の復興と再生に大きな役割を果たしました。

平安神宮創建

平安遷都千百年紀念祭と第4回内国勧業博覧会に際し、市民は、京都の始祖である桓武天皇の御霊を奉祀する神社の創建を強く望み、明治28年3月15日、桓武天皇(737〜806)を御祭神として「官幣大社 平安神宮」が創建されました。(その後、皇紀2600年(昭和15年)を記念して平安京最後の天皇である孝明天皇(1831〜1866)が合祀されました) 覧会では、京都の始祖、桓武天皇を奉祀する平安神宮が創建されるとともに、本殿前にモニュメントとして、国家(平安京)のシンボルであった平安京朝堂院正殿の大極殿や応天門などが造営されました。建設には、当時を代表する建築家 木子清敬・伊東忠太が設計と工事の指揮・監督にあたりました。それが現在の平安神宮の  朱色の社殿であり重要文化財に指定されています。 又、平安神宮創建と同時に社殿を囲むように作庭されたのが「神苑」です。明治を代表する作庭家7代目小川治兵衛によって作庭された池泉回遊式の庭園で南・西・中・東の4つの庭で構成されています。昭和50年に国の名勝に指定され、文豪 谷崎潤一郎の「細雪」のにも登場する紅枝垂れ桜や花菖蒲等が有名です。池水には琵琶湖疎水が利用されており、疎水をろ過して取り入れていた為、外来種の影響を受けず、琵琶湖で殆ど見られなくなったイチモンジタナゴ等の絶滅危惧種が多く生息しており生物学的にも貴重な庭園です。

平安遷都千百年記念祭と 時代祭

平安遷都1100年紀念祭は、当初、内国勧業博覧会開催中に明治天皇を迎えて催される予定でしたが、諸事情で延期されることとなり、明治28年10月22日から3日間にわたり盛大に挙行されました。10月22日は延暦13(794)年、桓武天皇が新京(平安京)に入った遷都の日にあたります。紀念祭の余興として、25日に行われたのが時代行列で、翌年から京都発展の象徴として永年継続する為、神幸列を加えて時代祭となり毎年10月22日に斎行されています。 時代祭は京都市の全学区からなる平安講社を組織して実施されています。「京都でしか出来ない風俗史行列」を基本概念として誕生し、錦秋の都大路を飾るその行列衣装は、綿密な時代考証がなされ、京都の伝統工芸技術の粋を集めて復元した本物であるのが大きな特徴です。京都復興からさらなる発展へ、先人の熱意は連綿と歴代の市民に受け継がれ、当日本の歴史風俗絵巻と称される行列は、初の6列から折々に遂次加増され、現在では全時代20列(人員約2000名)約2キロにも及ぶ大行列となり京都三大祭の一つとなっています。

四海平安の祈りを込めて

これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。 その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。

近代京都の変容と 平安神宮の歩み

元治元年 蛤御門の変により市中が焼け野原となる
慶應4年 改元 明治天皇即位
明治2年 東京奠都 京都の人口が約34万人から約23万人に激減する 市民は京都復興策に取り組む 日本最初の小学校を設立
10年 鉄道が開通し、京都駅が完成する
15年 京都商業会議所が設立される
23年 琵琶湖疎水が完成し、日本初の水力発電所「蹴上発電所」が竣工する
26年 平安遷都千百年紀念祭協賛会が設立され、二府八県が連合して近代観光事業が計画される 京都市会で桓武天皇を奉祀する京都総鎮守平安神社造営が議決され、地鎮祭が行われる
27年 日清戦争が起る
28年 日本最初の路面電車が開通する
3月15日 管幣大社 平安神宮 創建
4月〜7月 第四回 内国勧業博覧会開催
10月22日 平安遷都千百年紀年祭執行(平安遷都の日)
25日 第一回 時代行列 巡行 京都市民の総意により平安講社設立 第1社 延暦文官参朝列 第3社 藤原公卿参朝列 第5社 織田公上洛列 列外 山国隊 弓箭組
明治29年 時代祭に神幸列、神饌講社列が加わる 日露戦争が起る
大正2年 東神苑が造園され、尚美館・泰平閣が京都御苑より移築される
4年 皇太子裕仁親王殿下ご参拝
10年 時代祭に第7社前列、第8社維新勤皇隊列が加わる
昭和4年 平安講社が日本一の大鳥居を建立
6年 時代祭に第9社楠公上洛列、第10社豊公参朝列が加わる
15年 孝明天皇合祀 神楽殿・額殿・回廊他が増築される
16年 大東亜戦争が起る
19年 御鎮座五十年祭・平安遷都千百五十年祭執行
20年 大東亜戦争終結
21年 宗教法人 平安神宮として再出発
25年 時代祭に女人列が加わる
41年 時代祭に維新志士烈が加わる
42年 孝明天皇百年祭にあたり、昭和天皇・香淳皇后ご参拝
44年 平安神宮会館建造
50年 神苑が国の「名勝」に指定される
51年 御本殿等被災、ただちに復興事業に着手
54年 御社殿復興
平成3年 天皇・皇后両陛下ご参拝
6年 天皇・皇后両陛下ご参拝 3月15日 
平安神宮百年祭執行 秋篠宮同妃両殿下ご参拝
10年 平安神宮崇敬会設立
14年 大鳥居を含む昭和15年建造社殿が国の登録有形文化財となる
17年 桓武天皇千二百年記念大祭執行 秋篠宮同妃両殿下ご参拝 時代祭に第11社室町幕府執政列・室町洛中風俗列が加わる
22年 大極殿・蒼龍楼・白虎楼・東歩廊・西歩廊・應天門の6棟が重要文化財に指定される
令和2年 南神苑に静態保存されていた京都市交通局二号電車が重要文化財に指定される

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