平安神宮を知る 宮司のご挨拶

かつて京都の街は、応仁の乱や蛤御門の変など激しい戦火により罹災してしまいます。後の東京奠都も重なり、地場産業は衰退、人口が34万人から23万人と激減し、都市衰退の危機に瀕しました。
この様な中、当時の市民は京都人としての誇りを胸に、街の復興事業に取組みました。

その事業として、近代化教育の促進、地場産業振興策としての京都博覧会の開催、インフラ整備としての琵琶疏水の掘削、その水力を利用した発電所の建設、路面電車の敷設など近代都市基盤確立のための一連の事業が進められました。
これらの復興事業の集大成が、明治28年平安遷都1100年を記念した第4回内国勧業博覧会の開催と、平安遷都千百年紀念祭の執行、そして京都の始祖桓武天皇を御祭神とした平安神宮の創建でありました。
この様に当神宮と琵琶湖疎水、路面電車は京都復興のシンボルとして、京都再生にかける人々の心の拠り所となったのであります。

その後皇紀2600年にあたる 昭和15年に平安京有終の天皇、孝明天皇を合祀し、京都総鎮守として市民のみならず、国内外に広く崇敬をいただいております。

約1万坪の面積を誇る神苑には、春に谷崎潤一郎の『細雪』に登場する八重紅枝垂桜や、初夏には花菖蒲・睡蓮が見頃を迎えます。更に路面電車としては初めて重要文化財に指定された京都電気鉄道電車(通称:チンチン電車)も静態保存されています。

10月22日に行われますのが京都三大祭の一つ時代祭です。平安遷都千百年記念祭を奉祝する行事として、京都の町衆の誇りと、文化首都としてさらなる発展を願う熱意により、創建同年から始められました。その祭具や装束は綿密な時代考証がなされ、京都の伝統工芸技術の粋を集めて復元された本物であり、動く時代絵巻として高い評価をうけております。またこの時代祭行列には、衰退した京都の街が年々復興していく様子を、後尾の神幸列から桓武天皇、孝明天皇両御祭神にご覧いただくという一面もございます。

創建にかけられた先人たちの思いや、文化財の変わらぬ姿を後世に伝えていくという責務を胸に、御祭神の目指された「平安楽土」の実現に向け、皆様と共に歩み続けて参りたいと思います。

平安神宮 宮司
鷲尾隆久

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