かつて京都の街は、応仁の乱や蛤御門の変など激しい戦火により罹災してしまいます。後の東京奠都も重なり、地場産業は衰退、人口が34万人から23万人と激減し、都市衰退の危機に瀕しました。
この様な中、当時の市民は京都人としての誇りを胸に、街の復興事業に取組みました。
その事業として、近代化教育の促進、地場産業振興策としての京都博覧会の開催、インフラ整備としての琵琶疏水の掘削、その水力を利用した発電所の建設、路面電車の敷設など近代都市基盤確立のための一連の事業が進められました。
これらの復興事業の集大成が、明治28年平安遷都1100年を記念した第4回内国勧業博覧会の開催と、平安遷都千百年紀念祭の執行、そして京都の始祖桓武天皇を御祭神とした平安神宮の創建でありました。
この様に当神宮と琵琶湖疎水、路面電車は京都復興のシンボルとして、京都再生にかける人々の心の拠り所となったのであります。
その後皇紀2600年にあたる 昭和15年に平安京有終の天皇、孝明天皇を合祀し、京都総鎮守として市民のみならず、国内外に広く崇敬をいただいております。